◆ダンスを始めてからその後

ヒップホップダンスを始めてしばらくした頃。「はむつんサーブってきいたことあるなぁ。。」と、何となくYouTubeで動画検索をした途端、僕の血が沸騰するようなワクワクを感じたことを覚えています。そしてラッキーなことに実家からすぐ近くに今の師・りきっちょさんのダンススクールを見つけ、レッスンに駆け込んだのが僕のアニメーションダンサーとしてのスタートです。

「焦らず、目の前の練習を逃げずに継続する者こそが遠くに行ける。」 このモットーを掲げて物事に取り組む姿とその踊りに感銘を受け、レッスンに通うことを即決意するのでした。

その中で、今現在も一緒に練習しているはむつんサーブ.CREWのメンバー、だーますとズーカーに出会います。当時はレッスン生として、ダンサーとして、そして人として情報共有をしながらお互いを高め合い、ショーケースなどに出るようになっていきます。

レッスン生時代

そして部活動を辞めてダンスを始めていた僕に転機が訪れます。学校の先生から「海外からパフォーマンスチームが日本にツアーに来ていて、ダンスや歌を英語で習って、大きいステージでショーができるワークショップがあるから行ってみれば?」とお勧めをされます。これが僕とヤングアメリカンズ(以下YA)の出会いです。

一年もしないうちにワークショップを複数回受け、高校3年生の夏には、「日本の大学には行かず、カリフォルニアにあるYAのカレッジに僕は行きたい!」と決意するも、英語は話せない、そもそも倍率40倍ほどの世界規模のオーディションに受かるかどうかもわからない。そんな状況でした。日本の高校や大学の留学制度ならまだプログラムの一つとして安心できる部分はあるかもしれません。ですが僕が挑戦しようとしていた進学に関しては、自分一人で手続きをする相手はすべて外国人だったので、0から調べ上げ、計画をしていかなければなりませんでした。不安なことがたくさんあったその反面、自分の中では、「先に進んでいく中で確実に自分をレベルアップさせていく自信がある。難なくこなしていける。」という根拠のない核心があり(笑)、必要な準備をしました。

「なぜ自分がYAになりたいのか、実際にメンバーとしてどうしたいのか。」を伝えるスピーチと、自分の歌とダンスの技術を披露する動画を作り、DVDでカレッジに送る、というのが当時のオーディション方法でした。高校3年の冬休みに入るとさっそく動画に必要な材料を揃え、その年明けにはオーディションを受けました。毎日毎日家のポストを眺めては落ち込む、という生活がしばらく続きました。

「あぁ。。やっぱり自分には高すぎる壁だったんだなぁ。。」

2か月ほど経って、いつも通り「今日もレッスンに行こう」と家を出ると、分厚い封筒が届いていました。英文でびっしりの書面の冒頭に”Congratulations”という単語が見えた途端、僕は走り出していました。その足で入った近くのローソンで、人目気にせずガッツポーツをしたのを覚えています。高校を卒業した翌日のことでした。

実際の合格通知書

合格時、海外に移住するために必要なものを何も持っていなかった僕はパスポートの取得をし、アメリカ大使館でビザの申請、学校の新入生担当の人との電話会議、準備を着々と進めていく中であっという間に時間が過ぎていきました。しかしその裏で、YA合格が定かでなかったころから日本の大学に進む手続きも進めており、アメリカのカレッジが9月始業のため、高校卒業後の4月から日本の大学にも通い始めていました。

普通なら華のキャンパスライフにウキウキするところなのでしょうが、僕にはその環境が合わず、2週間ほどしたところで学校に行かなくなり、休学届を提出。アメリカに行くのなら保険をかけておきたくないと親の反対を押し切り最終的には退学手続きまでしました。

そして気が付けば夏も本番を迎え、僕はいよいよ日本人男子で3番目の合格者としてアメリカに渡ることになります。。

海外での経験に続く→

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